SSブログ

礼崩壊概要


教団本部は神戸市中央区籠池通7-2-29で、修行地を身延山と定めていたが、
神戸岡本の天王山に30万坪の土地を購入し、昭和57年に国家の守護神として[如来山仏舎利塔]を建立、
「恩師仏舎利」と称して吉岡元治郎(教祖)の遺骨を納めてからは身延山とも縁を切り、
修行地を神戸に変更しているようです。
この「恩師仏舎利塔」が現在、麓から見ることが出来る(一般人は立ち入り出来ませんが)
多宝塔のようです。
現在の教団は、元治郎の三男、吉岡正義(まさよし)が継承しているようです。
信者数は20万人とも言われ、勢力は近畿圏を中心に西日本一円、中部圏、九州圏(沖縄を含む)、
関東圏の一部の範囲で、50の講堂が建設され教勢の上では中堅教団の域に達したと見られています。
創始者の吉岡元治郎は兵庫県神戸市生まれ、昭和11年に友人の勧誘によって[霊友会]に入信、
同会の支部長をしていた昭和20年に神戸の大空襲に遭い小豆島に疎開、終戦後2年を経た昭和22年に
神戸に舞い戻り、弟子を再結集して会の基礎を作り上げ、創価学会に先立つこと2年、
即ち昭和25年2月22日に[礼崩壊]と命名して独立し、宗教法人令による宗教法人の認定を受け、
昭和27年に宗教法人法による宗教法人となった[霊友会系]の新々宗教です。
従ってその教義は、[霊友会]の先祖供養の教義・儀礼を基本的に引き継ぎ、
特色としては家の先祖の因縁浄化、国家・世界の因縁浄化のための「影の修行」が強調され、
そのための「発言者」(はつごんじゃ)(先祖・神仏の言葉を通して霊的因縁を解明し、
その浄化に関与する霊能者)の養成、八方に拡がる意気込みで衆生を救うとされる[八天の題目](陽の題目)の
開顕(昭和30年から)など、人材・儀礼・シンボルの開発・整備が進められてきました。
ところで、岡本の同じ天王山には、もうひとつ別の塔?がかつて存在していたようです。
厳密に云えば塔屋を備えた奇怪な西洋建築のようですが、「ブッシャリ塔」の形状はインドの「タージマハル」を
模したいわれその外観に似ていた様です。
「二楽荘」といって、西本願寺22世門主の大谷光瑞が明治末に完成させ、
西域探検の拠点や弟子の育成に活用したものであるそうです。
しかし、この建物は昭和7年10月、放火とも噂された怪火で消失してしまったということです。
私の所有している地図には「ニ楽荘」跡と印が入っていて確かに存在したようです。

以上はWEB上で「礼崩壊」と検索し、幾多の情報を切り貼りしたものです。
全体的な印象は「秘密主義」で「実態不明」な印象はぬぐえません

ブログパーツ


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:LivlyIsland

nice! 3

コメント 0

礼崩壊気の毒か基地外か? ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。